皆様、素敵なオタクライフをお過ごしでしょうか?本日は今の若い人たちは知らない、中年オタク達の黒歴史をご紹介したいと思います。歴史は人それぞれですが、今の時代がどんなに幸せかを感じて頂ければ嬉しいです。
それでは、先ずは私が生まれる前と、物心のついていない時代のお話からです。
1963年手塚治虫の鉄腕アトムによる、第一次アニメブームが起こる。
1974年松本零士の宇宙戦艦ヤマトによる、第二次アニメブームが起こる。
1979年富野 由悠季機動戦士ガンダムによる、第二次アニメブームの継承。
この期間、偏見の無いアニメーション隆盛時代を日本人は謳歌していたと言います。オタクなんて言う言葉も無く、一つの文化の誕生を祝う気風だったそうです。ただ、この頃から伝説となったアニメは総じて最初は視聴率が悪い傾向にあった様です。
1989年私が子供の頃、ある事件が起きました。宮﨑勤が起こした事件です。
私はアニメを見るのは好きでしたが、当時はアニメに携わっている人には全く興味が無かったので、宮崎駿を知る前にこの宮崎勤を知る事になりました。(なので今でもたまに間違えます。黒木瞳と黒木香も間違える。あとは・・・いえ、なんでもありません。)
学校ではこの事件の話題で持ちきりになり、ミヤザキさんやツトム君はからかわれ、マスコミが彼のバックボーンをアニメ好きと書きたてた事により、犯罪行為の原因は全てサブカルチャーに転嫁されていきました。
この状況は今でも当時のアナウンサーがコミケ会場にいた人たちに対して『10万人の宮崎勤』などと言う都市伝説になっているほど凄まじいものでした。
(あくまでこの発言は都市伝説ですが、当時のマスコミのオタク迫害度合いはこんな感じでした。)
そして、この事件はオタク文化を冬の時代に追いやるには十分すぎる程の威力を持っていました。
学校ではアニメが大好きと公言する人は女子の一部グループだけとなり、男性のアニメファンは息をひそめて生きていくこととなったのです。
(私もギターを始める始末。Fが押えられなくて直ぐやめたけどw)
思えば女子にモテる為、『俺はゲーム好きだけど、アニメはそうでもないぜ!』的なオタク友達への裏切り的な事を言ってみたり・・・思春期の苦い思い出です。
その頃学校で見ている事を話題にできたのはせいぜい【ドラゴンボール】と【ちびまる子ちゃん】ぐらいだったでしょうか・・・
それからも宮崎勤の影響は長く続きます。幼女性愛者(ロリコン)と言う概念が世間に定着し、代々続いてきた魔女っ娘の姿は、宮崎勤逮捕から6日後に公開された魔女の宅急便のKIKI(13歳)を最後に消える事になります。
当時はよくこんな時にパンツ丸出しのこんな映画公開したな宮崎駿っ!!と言われていました。ロリコンと言う言葉の重さは、今の冗談交じりの物とは全く異質でした。正に犯罪者の烙印だったのです。
1992年【セーラームーン】中学生に年齢層を上げ、等身を変える事により魔女っ娘が形を変えて復活を果たします。
しかし、そこにはもうミヒャエルエンデのモモや不思議の国のアリスの様な、恋愛と切り離された無邪気な少女を描く事により成立するファンタジーはありませんでした。
ただ、久しぶりのアニメのヒットを受け、サブカル業界はにわかに活気を取り戻し始めます。抑圧により比較的弾圧のゆるいTVゲームに殆どの男子が逃げ込んでいましたが、ハードの進化により、動画をゲーム内に取り込む表現は、どんどん一般的になっていきました。
ビジュアルシーン付、と言われるアニメの少し入ったゲームが大量に作られました。
1993年【機動戦士Vガンダム】TV版ガンダムが復活。視聴率は低かったが、その後の宇宙歴を無視したGガンダムに繋げた。
1995年【エヴァンゲリオン】爆発的大ヒットと社会現象化。この作品により、オタクを取り巻く環境は一変しました。アニメが好きだと言える自信を、分かっていない人が悪いと言える自信をこの作品は多数のオタク達に与えました。この作品の人気はオタク差別派を蹴散らしたと言う当時のオタク達のカタルシスによるものが大きいかと思います。
またこの頃、WINDOWS95の登場により、世界はネット社会の入り口に立っていました。思えばビルゲイツも、ドが付くオタクです。
彼は、後に『学校では教えてくれない11のルール』と言う講義で、11番目にこう言っています。『オタクには親切にしよう。彼らの下で働く可能性が高い』と。実際、この後ITバブルに乗って富を得た者や、大企業に入れた者は達はスポーツマンや女性の扱いが上手いフェミニストでは無く、オタクだったと言っても過言ではないでしょう。そして、ここから逆転現象が始まります。
1997年【ファイナルファンタジー7】世界で407万本を売り上げた、プレイステーション用ソフト。このソフト1本でゲームハード戦争を終わらせた事であまりにも有名です。この頃から、ゲームデザイナー、ゲームミュージックのデザイナ-が社会的地位を得始めます。
2001年【千と千尋の神隠し】興行収入304億円の怪物アニメが誕生。ベルリン国際映画賞の金熊だけでなく、アカデミー賞をもかっさらうと言う快挙を成し遂げ、オタク達は一般人に自慢をするネタがまた一つ増えました。この頃から政府もサブカル文化は日本のお家芸だと認め、マスコミによるサブカルチャーを否定する気風は一気に吹き飛びました。皮肉な事に宮崎勤が失墜させたオタクの地位を、同じ姓を持つ宮崎駿が取り戻したのです。
そこからの事は皆さんの方が詳しいでしょう。多数のアニメ、ゲーム、漫画、ラノベが生まれ、皆の感性に影響を与えていきました。
今では政府までクールジャパンを推奨し、オタク達が作り出した萌え、中二病、腐女子、やんでれ、つんでれ等の色々な状態表現や定義は既に日常に使う言葉になり、オタクと言う言葉そのものも否定的な物では無くなり、何かが大好きな人と言う言葉に置き換わりつつあります。
こういう時代に生きれる事、まだまだこの物語の先が見れる事。とっても幸せだと思いませんか?
自分が好きな事を胸を張って好きだと言えて、その想いを共有する仲間がいたとしたら最高ですよね。
上海ゲーム部では、そんな仲間を募集中です。海外で1人だと誰にも言えない趣味も、きっとここなら共有できる仲間や、あなたを分かってくれる人が見つかりますよ。
文章:K
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