【D’s独り言】ポエムは世界中に溢れている

こんにちは、Dです。

 

以前我らが上海ゲーム部専属チャットツールのメイングループで私が話しました、
「恋をしている人間は、誰もがポエット(詩人)」なんだと。
私が言う「恋をしている」とは凄く広義的なもので、
その「恋をする」対象は人とは限りません。
動物、植物、物事、風景、趣味、ゲーム等々これら全てが恋する対象となるのです。

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「最近キンモクセイがすっごく好きなんだよね」
「早朝のカードマスターの風景が落ち着く」
「やっぱりボーカロイドの声って癒されるよね」
私にとってこれら全てが「恋をしている」と理解できます。
人間は恋ができるから素晴らしい、それ故に美しい。
「恋は下心」なんて説く輩は正直脳内中学二年生レベル、
それは「恋」の素晴らしさに気づいていないだけの憐れな人間。
辞書に書いてる定義なんて知りません、「尽信书,不如无书」ですしね(笑)

 

そして「恋をしている」人間の放つ言葉は大概ポエムになりうるのです。
俗に言う「名言-Saying-」もポエムの変化種です。

 

知ってますか?実はこの世界に一番ポエムが起用されている物...
それは歌だと私は思うのです。
歌なんて楽器や音楽さえ無ければ、全部作詞家の書いた詩です。
無論、クラシックを否定してる訳ではありません。
クラシックだって見方次第では音符で構成されたポエムです。
歌詞は作詞家の心の現われであって、私たちに嘆きかけている言葉だと思うのです。
私は常に国語のテストをする気分で歌を聴いています。
作詞家さんの言いたい事を汲み取って心から聴いています。
やはり、普段言いにくい事も、歌ならストレートに言えるんじゃないかって、
「ここさけ。」を観てから益々そう感じています。

 

今日は私が最近単曲リピートで聴いてる歌&歌詞を私の解釈と掛け合わせて述べたいと思います。
ポエムは世界中に溢れている。

 

No.1
「聲」- 天野月子
「たとえばこの言葉があなたに届くのならば、わたしの声帯を取り上げて、捨ててもいい」
私の解釈:
私の言葉、もし本当にまだ貴女に届くのなら、声帯を切り捨ててまでも、
どうか、聞いて欲しい。
もう届かないとは思う、そんなの分かってても、常に0.0000001%の可能性、
私は捨てたくない。
許して欲しいとか、振り向いて欲しいとか、結局結果的には求めているんだけど、
今の私には「優しい」言葉で喋りかける術しかない。
声帯を取り上げるなんて重いけどね...

 

No.2
「沙耶の唄」- いとうかなこ
「それはねその砂漠にたったひとりだけでも、花を愛してくれる人がいるって知ったとき」
私の解釈:
私がズレてる事なんて小学生の時から自覚してる。
それでも私は本能とかそんなんじゃなくて、自分の帰宿を探している。
世界色んな人がいて、同じ顔に見える黒人だって、性格はバラバラで、
戦闘民族のロシア人でも温厚な人はいたり、
私だって…確かにズレてはいるけど、それでも受け入れてくれる人を
探すのは...間違い?今までの経験からして、
その砂漠にたった一人でも花を愛してくれる人がいるのは知っている。
今まで付き合ってきた人全てにそう探してきたんじゃないの?って言われたら
それはそうなんだけど、それでも今こうして貴女が好きなのは、
私が軽いとかそういんじゃなくて、ただ前の人達は私の帰宿ではなかったから。
凄く自己中心的な考えなのは百も承知だけど、
私は私にとってのオアシスを見つけたい。
少なくとも砂漠にオアシスがある事は知っているから。

 

No.3
「ヤキモチ」- 高橋優
「すぐにヤキモチ焼くのが僕の悪い癖だって、分かっていた筈なのに
自分勝手な想いが残酷な言葉になって、君を傷付けてた」
私の解釈:
私が貴女と喧嘩したあの2回、どっちも結局は僕のヤキモチから派生した妄想で、
自分勝手に悪いように解釈して、全て残酷な言葉や行為に変わって
それで君を傷つけたね。
正に「歴史を学ばぬ者は歴史を繰り返す」だね。
こういった事、別に初めてじゃないんだよね。
私は分かっているんだ、
自分が図体でかい割にヤキモチ焼きで不釣合いでそれがコンプレックスで、
少女漫画の読みすぎかなぁといっつも言い訳考えているけど、
本当は少女漫画言うほど読んでなくて、
全部全部逃げ道を考えている臆病者だって事を。
ヤキモチ焼くのは好きだからであって、それはいいことだと思うけど、
やっぱそれを行動や言葉に出しちゃうのは良くないよね。
昔からそれで痛い目見てて分かっているのに、
なんでこう自分勝手に悪い方面に解釈しちゃうのかなぁ...
分かってはいるのに、分かってはいるのに。
好きになるって事自体私は許されてないんじゃなかって、
カルマをきちんと償わないと神様は許してくれないんじゃないかって
つくづく思います。
業深き、深淵の如く;罪深き、針山の如く;
仇深き、血海の如く;悪深き、奈落の如く。

 

No.4
「おおかみは赤ずきんに恋をした」- 鏡音レン&鏡音リン
「出会いは、終わりに続くシナリオ
だから、わざと遠回りをした」
私の解釈:
もう少し早く知りたかった。
分かる気がする。
出会いは終わりに続くシナリオだって。
U先生が言うように「人間生きていれば死亡率は100%」のように、
出会ってしまえば、何らかの関係性を持ってしまうのは不可避。
関係性を持ってしまえば、人間はより上の関係か下の関係を求める。
上の関係を持とうとする者は以前よりその人に近づく故破綻しやすくなる。
下の関係を持とうとする者はその人と疎遠を保とうとする為、蒸発する。
だからといって何の関係性の向上を考えないとなると、より疎遠になりやすい。
人間は表だけの関係で満足できない生き物だ。
だから出会えば終わりのシナリオに続いてしまう。
もう少し早く知っていれば私は遠回りしたかもしれない。
片思いのままでも良かったのかもしれない。
こんな風にバッドエンドを迎えてしまうなら、
遠くから貴女を見つめていても良かったんじゃないかなぁと。
別に後悔している訳ではない。ただそんな世界線もあるんじゃないのかなって妄想。

「人間は無くすのを恐れる生き物だ」。

 

No.5
「天ノ弱」- GUMI
「この両手から零れそうなほど 君に渡す愛を誰に譲ろう
そんなんどこにも宛てがあるわけないだろ まだ待つよ」
私の解釈:
歌詞には「愛」と表記されていますが、
正直今の私には私の感情が「愛」へと昇華できているかは分かりません。
ですが、「好き」という気持ちに変わりはありません。
そして私は一途なタイプなので、とことん好きになってしまう派故、
両手とかよりもっと大きな器から既に感情は駄々零れています。
そんな感情、誰に譲ればいいの?捨てればいいの?
また主観的な話になりますが、私の愛はそんなに軽くチープなものではありません。
それ故、捨てる?譲る?そんな事…できる訳がないです。
宛て?宛てなんか探す訳もない、そんなチープな感情ではない。
以前メインチャットで「私は白馬の王子を待つ囚われのお姫様なんかになりたくない」と
言いましたが、その通り私は根っこからの待てるタイプではありません。
でも、それでも、待たなきゃ解決できない時、時間に頼らない時は待ちます。
それは私にとっての最終で最悪な手段ですが、止むを得ません。
「待つくらいいいじゃないか」。

 

No.6「春なのに」- 徳永英明
「春なのに お別れですか
春なのに 涙がこぼれます」
私の解釈:
いや、人間である以上別に春夏秋冬問わず涙流す時は流すよ。
春夏秋冬問わず別れなんていつも突然だよ。
それを知っているのに、なぜか春という日本で桜の咲く新学期の頃は…
この歌が何を舞台にしているかは知ってます、私の話とは関係ありませんが、
それでもこの歌を聴いてると、涙が零れます。春なのに...

 

No.7「ホシアイ」- GUMI
「会いに行くよ今 星を辿って
夜の闇に沈む君の街まで」
私の解釈:
以前我ら上海ゲーム部専属チャットツールのマイページで
私がひとことに設定していた文章。
上海は…星なんて滅多に見えませんが、見えないだけで星は至る所で常に瞬いてます。
私はそんな星を辿って、離れたところに住んでいる好きな人の居場所まで
会いに行けたらなぁ、と常に想い更けていました。
下班してから家に帰る途中、空を見上げて、涙が零れ落ちないように、
眼球の上に潤う「星」を見つめながら、貴女を想い、
手が届く距離にいるのに、遠距離並みに会えないこの神様の悪戯は
時折私の心を弄んでいました。
それでも、「好き」という感情なら全てに打ち勝てると妄信していた愛戦士は
諦めませんでした。たとえ「星」が見えなくなっても。

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記日、4月28日也、涙も光るなら、流星になる。

 

 

 

文章:D

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