こんにちは、Dです。
私はあまり映画やドラマを観る方ではありませんが、
作中でよく登場人物が人生をチョコレート箱や天秤や餃子だとか
様々な角度から比喩しますよね。
別に他人の比喩を否定している訳ではないのですが、
最近毎日ロボットのような生活をしていて、
まるで右腕が無くなったかのように、
日々、生きる事への熱情を失っていってるDですが、
それでも毎日上り下りの為、エレベーターに乗ります。
家のマンションから1階に下りる時もエレベーター、
会社に着いてオフィスへ上がる時もエレベーター。
今ではエレベーターは我々の生活に無くてはならない乗り物ですよね。
そして主に会社でふと思う時があるのです。
私が乗って下に下りている途中に誰かが乗ってきて、
その誰かが私が下りる階の上の階で先に下りてしまう事が。
これが私はすっごく人生に似てると思うんです。
私が先に生まれて、その後に誰かが生まれて、
けどその誰かが私より先に亡くなってしまうような;
私が先に始めたゲームで、その後に誰かがそれを好きになって、
でも私より先に飽きちゃってしまうような;
私が先に勤めた職場で、後に後輩ができて、
でもその後輩が私より先に辞めちゃってしまうような。
どれも当たり前な事なんですが、なぜか私は切なく感じます。
ただの考えすぎだと思う人もいるかもしれません。
物事の見方によって例えられるこの人生、
確かに熱意は減っていますが、面白味は増え続けている。
私の感情の起伏もエレベーターのように上がったり下がったりしています。
そして私も今、キャリアのエレベーターに乗っていますが、
間もなく下りようとしています。
リーダーや同僚より後に勤めた私が、
彼女等より先にエレベーターから下りようとしています。
彼女等は悲しむでしょうか?それとも応援してくれるでしょうか?
それともそんなに深く考えてないのでしょうか?
相手が考えてる事なんて相手にしか分からないのですが、
それでも私は先に下りる事に…些か申し訳なさを感じます。
今皆さんはエレベーターの何階にいますか?
そのエレベーターは動いていますか?
何階に行くかきちんと押してますか?
私のエレベーターは・・・・・・です。
文章:D
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