【D’s独り言】随筆IV 絆

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※絆…それは単に目に見えない繋がりだと私は思っていた。

蜘蛛の糸のように細く透明に近いもので、
でも強固で切れにくい、そんな物だと思っていた。

時に、私は絆という存在に嫌悪を感じていた。
群生動物であるからといって、群生に生きさせようとする、
そんな強引で常識のような繋がりの存在が嫌いだった。

人は産まれ、育ち、老い、死に至る。
産まれた時点で死は確定しているというのに、
なぜ悲しみを産ませる為に群がりたがるのか。
若い私にはそれが分からなかった。
どうせ最期は死なら、一人で独りで生きてもいいんじゃないかって。

でも絆という名の神の産物はそう簡単に人を一人で生きさせない。
何故なら絆という物は意外に容易に出来上がってしまうからだ。
ふとしたキッカケで知り合った人同士でも、
もう二度と会わないだろうと思っていた相手でも、
ただの人生の通過点ですれ違っただけのモブでも、
一度お互いを認識した時点で絆は産まれてしまう。
絆は本当に嫌な存在だ。
恰もお互いを縛り合う為に産まれた存在のような、
恰もお互いを認識させる事によって現世に無理に留めさせるような、
恰もお互いを思いやらせる為に人為的に作られた錨のような。

でもそれでも絆という神の産物を美化し好む人間もいる。
私はそういう人たちをディスりたい訳ではない。
寧ろ絆を良い物だと認識している人たちが羨ましいくらいだ。
私も絆を好きになりたい。
でも好きになれない事象が好きになれる事象より多くて、
どうしても自分にだけは嘘をつきたくなくて、
だから矛盾してる自分がいる。

絆なんてただの足手まといでしょう。
在るだけで、行動を制限されてしまう、
でも制限があるからこそ皆普通で普通のように生きられる。
私はそんな枷を打ち破りたい。
でも、打ち破るとその分の絆を自らの意思で裏切った事になり、
失う物が得る物より多くなってしまう。
だから簡単には裏切ろうとも思えないし、
打ち破ろうとするエネルギー(=動力)も補填されない。

誰しも人生に幾つかのターニングポイントが訪れる。
其のターニングポイントは決まって何かを失わさせる。
失う事を選んで自分の道を歩む事を選べば、
他者から見ればそれは列記とした自己中に見えるだろう;
失うのを恐れ自分の道を歩まない事を選べば、
他者から見ればそれはただ心が悲鳴を上げてるように見えるだろう。
結局この世で「素直に生きる」という事は至極難しく、
誰しも自分を殺して生きている。
それにもっと早く気づけれてばよかったな、と後悔する自分がいた。

少し遅かったが、私はそれに気がつけた。
無論、其れは遅かった。
素直に生きすぎた。
「食べたい時に何かを食べれて、寝たい時にどこかで寝れて;
ゲームしたい時に其のゲームが出来て、喋りたい時に誰かと喋れる」
それが私にとっての幸せ。とても安上がりな幸せ。
そして今まで過ごしてきた人生で、辛い事はあっても、
こんな安い幸せは感じてこれた。
だから私はまだ不幸なんて体験した事ないんだと思う。

でも今思い返せば、
こんな安い幸せを実現し続けてこれたのは
そこに、絆があったからだと思う。
口では絆を嫌だと全否定していても、
絆は空気のように必ずそこにある。
群生動物が住むこの地球で、
どう足掻いても人は必ず繋がりを誰かと共有しているんだと思う。

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絆…それは切っても切っても切れない目に見えない繋がり。

太さとか、色とかそれは相手によって異なって、脆弱で、
簡単に千切れる、でもその分簡単に結びなおせる、そんな物だと思っていた。

今、私は迫りくる決断に追われている。
私はこう見えて負けず嫌いで、強がりなので、
人前では絶対に何かに追われているような表情は決して見せない。
が、何故か文字にすると打ち明けたくなってしまう。
私は至極自分勝手である。
唯一自覚していて且つ絶対に直らないと思っている短所。
いつも何か大きな決断をする時は、
絶対と言っていいほど誰かと相談せず、
自分で決めてしまう。
それで今までどれほどの人間を泣かせてきたか、
どれほどの人間を悩ませて、迷惑をかけてきたか。
痛いほど分かっている。
でも、それでも私は自分勝手に自分の行く末を決める。

私は何度も進んで一人で、絆という名の神の手下に立ち向かう。

私は上海ゲーム部が好きだ。
そこに所属している皆が好きだ。
仲間?友達?ファミリア?なんて形容したらいいか分からないけど、
一人一人がかけがえのない人達だ。
私の人生においてのただの通過人とかじゃなくて、
本当に大事な人達だ。

私が2014年7月に上海に戻ってきてから出会った人々も、
皆が大事で大好きだ。

でも、自分勝手な私はこう思います。
私の好きな人達、どうか私の足枷にならないで、と。
私は恐らく近いうちに私にとっての第3のターニングポイントにおいての、
大きな決断を自分勝手に下すと思います。
私は皆の事を自分勝手ながら、好きなままでいたいです。
だから自分勝手に皆もそう思ってくれるだろうと思い込みます。

たとえそれで何かが失われようとも、
絆がそこにあるならきっと。

※絆…それは誰かが他の誰か或いは多くの人達に寄り添う為の契機。
最早線状ではない、一種の記憶のような虚擬物。
そして人が誰かと繋がりを求める際に使われる方便の利く口実の為のベース。

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そして私は絆で編む。

未来という名の海で難無く進む為の筏を。

独りで。

 

 

 

文章:D

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