【D’s独り言】端午节并不快乐!

こんにちは、Dです。

今日は端午节について「少し」語りたいと思います。

知っての通り、端午节は中国では粽を食べますよね。
粽を食べるのは屈原が汨罗江にて身を投じても
死体が魚や亀に食べられない為とか言われてますが、
実際屈原と言う人が存在していたかどうかは不明なんです。
あくまで伝承として受け継がれているだけで、
実際BC340か339くらいに生まれているので、
屈原本人の文献は残っていません。
因みにもし屈原が実在していたら、
彼の出身地は今で言う湖北省です。
なんと私の現在地という奇跡!
そして屈原は苗字が屈ではないという事です。
多くの人は屈原の苗字が屈だと勘違いしていますが、
本名は芈平。
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姓芈、氏屈、名平、字原。
先秦時代では、男性は基本族号である苗字を名乗らず、
族号から派生した氏を名乗るものでした。

そして嘗ての端午节は旧暦5月5日でした。
その日に、汨罗江に身を投じた人は伍子胥と言われています。
決して屈原ではありませんが、
何故か現代では屈原を哀悼する日になっております。

タイトルにも書いてありますが、
実は「端午节快乐」という祝辞は間違っています。
上記にも書きましたが、端午节は故人の死体が
江の魚や亀に食べられない為に、粽を撒いて、
死体を守ったと言われる、いわば忌日なのです。
なので端午节の正しい祝辞は「端午安康」です。
清明节と同じ感じですね。
基本忌日の祝日は「快乐」を使っちゃいけない所が。

5月って日本では五月病という訳の分からない病がありますよね。
古代の中国では5は大変不吉な数字で、
発音が「悪」に似ている事から、
5月は悪月、凶の月と呼ばれていました。
なので旧暦5月5日の端午节は悪月悪日と言われ、
その日は粽を食べる以外に、厄払い等も行っていたそうです。

最後に粽の形状と赛龙舟の由来についての伝承ですが、
屈原が自殺して数日経ったある日、
とある老人が夢の中にて屈原にこう問いました。
老人:「江の中にたくさんの食べ物を撒きました。貴方は食べれましたか?」
屈原:「江の中に撒いてくれたたくさんの食べ物は魚や亀が食べてしまいました。」
老人:「どうすれば魚や亀に食べられず済むのでしょうか?」
屈原:「粽を竹の葉で包んで、菱形のような形状にすれば、角が立っているので魚達も食べないでしょう」
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月日が経ち、二年目の端午节にて、
昨年の夢の中の屈原の言う通りに汨罗江に尖らせた粽を撒きました。
ですが、老人は屈原が食べれたかどうか不安で、
また夢の中で屈原に会いに行きました。

屈原:「たくさんの粽、ありがとうございます。今年は私も食べれました。ですが、殆どはやはり魚達に食べられてしまいました」
老人:「じゃあ他に魚達に食べられない方法はありますか?」
屈原:「粽を撒く際に、龍の格好をした船に乗せて撒けばいいのです。何故なら魚達は龍王管轄の生き物ですので、龍王の食べ物には手を出しません」
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それから、毎年の端午节は人々が大きな龍船を自ら漕ぎ、
船の上から粽を撒くようになったと言われています。

まぁ、伝承は諸説あるので、
一概にして私の記事が正しいとは言えませんが。
でも、知っておいて損はないですよ。
中国においてこれくらい常識ですし、
非常識で無知な人間よりよっぽどマシですよ。

 

 

 

文章:D

 

 

参考文献:爱奇艺

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