【Novel】【I.F.】♯06 Opening

Chess-themed Fiction:I.F.(Isolated ♟ had a friend called ♕)
♯06 Opening

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◇♟♕◇

秋の夕暮れが鱗雲を真っ赤に染め上げていた日のことだった。
寒い、寒い日のことだった。

「いいわよ、してあげても。」
「え?」
「したいんでしょ?キス。してもいいわ。」

彼女はふふっ、と声に出して笑った。

「………っ。」
それは僕をからかうようで、それでも少し誘惑しているかのようで、
僕は何も答えることができなかった。

目の前には綺麗に駒が並べられたチェスボード。
今日の動物たちは臨戦態勢だった。

「もちろんただで、じゃないわ。」
彼女は僕が黙っているのをみてから人差し指をぺろり、と舐めて続けた。

「私の好きな条件で勝てたら、にしましょうか。
 もちろんBlitzで、時間は…そうね。アラベスクが終わるまで。
 持ち時間は2分切れ負け。
 もちろん、私がシロでいかがかしら?」

そういって、彼女は祖父のコレクションからドビュッシーを取り出し、
レコードプレーヤーに優しく置いた。

「君がシロでもいいけど…さあ、どうするの?」

巡礼様 その手にあまり ひどすぎるお仕打ち、
このように 礼儀正しい 信心ぶりですのに。
聖者の手は 巡礼の手が ふれるためのもの、
指ふれるは 巡礼の優美な 口づけと申します。

頭の中で朗読会のソネットが流れていた。
黄昏の時間が彼女を赤く、紅く、どこまでも朱く照らしていた。
それは先日読んだお話に出てきたAten神のようだ、と僕は思った。

「そのままで、いいよ。」
僕は頷いてそう言った。

それを聞いた彼女は満足そうにほほ笑むと、
レコードの針をドビュッシーにそっと乗せた。
その仕草は初めての舞踏会に戸惑う美姫の手を取る、王子のようだ。

レコードはゆっくりと廻りだす。

「さあ、楽しみましょう。」

じじっ、という衣擦れのような音をたてて針がレコードに触れた。

”1ere Arabesque E-Dur”
レコード上のタイトルのその部分にも夕日が赤い影を落としていた。
暫くすると(Eと書いてあるのに)サブドミナントから曲は始まった。

「d4。」
彼女はその魔法の指先で子豚を勇ましく動かす。
その声は悲しくも楽しそうだった。

震える手を押さえて僕もポーンを手にとった。
臆病だった兵士は勇気を振り絞って進みだした。

-To be continued-
文章:U

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